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【感謝の70年周年!】藤木工業と研ぎ出し黒板の歩み

2026年6月 藤木工業は70周年を迎えました

感謝の気持ちを込め、70年を通して現在まで作り続けている【研ぎ出し黒板】の歴史を藤木工業の歩みとともにご紹介します。まずは社長挨拶をお伝えさせていただきます。

昭和31年、博多駅南の春住から藤木工業は始まりました

昭和37年の藤木工業の黒板刻印です
住所は福岡市春住と書かれているのが分かります

当時、工場を建てた博多駅南周辺は田んぼでいっぱいだったとのこと。 2026年現在79才の会長は高校生の頃、友達と一緒に春住の工場でアルバイトをし、リヤカーで黒板を運ぶこともあったそうです。

会長から聞いた藤木工業の歴史を感じる話題のひとつが、 取引銀行で一番最初に当座を開設したそうです。当座番号は2桁ですが、当座番号に一桁はないので、二桁の番号になったとのこと。感心するお話しでした。

創業者の藤木六郎氏の銅像
藤木工業の年表は会社案内でご覧いただけます【公式】藤木工業株式会社|会社案内 | 藤木工業

黒板職人が語る【研ぎ出し黒板】の貴重な歴史

現在も工場で製造している研ぎ出し黒板の作業風景です

黒板職人歴50年を超える方に藤木工業での研ぎ出し黒板の歴史を聞きました。

最初に工場に入った頃は、研ぎ出すための黒板下地は杉板で作っていたとのこと。当時はすべてが手作業で、10㎝幅の杉板を黒板の形にするところから始まるそうです。その作業風景を黒板に描いてみました。

杉板には節があり、節はよく抜けてしまうため
埋める作業も大変だったとのこと
※1:かんれいしゃ(寒冷紗)…ガーゼより粗く編まれた薄い布で、
当時は木製黒板の割れを防ぐために使用されていたそうです
※2:プライマー液…接着の効果があり、下地に塗る材料。
不揃いな下地の表面を平らにし、素材を保護する役割もあるそうです
その後、杉板はベニヤになり、さらに鋼板が登場することで、
作業がとても楽になったそうです

黒板塗料を塗った後の【研ぎ出し】の作業は、材料の品質が良くなったため、工程数は異なりますが、ほぼ同じやり方で作業をしています。70年前の創業当時から現代まで歴史を受け継ぐ【研ぎ出し黒板】。今では製造している工場も数少なく、現役で活躍しる貴重な黒板となっています。

研ぎ出し黒板の木枠は原木から作り上げる職人技

古い木枠の黒板です
昔はオイルペンキを塗って仕上げていたそうです

現在はアルミ枠で作られている黒板枠ですが、創業当初は黒板枠用の木材はなく、すべて手作業で作り上げていたそうです。

職人さんによると、原木が粗くカットされた状態で工場に仕入れされ、そのままでは使用できないので工場の外に干すところから始まったそうです。品質がバラバラなため、長さや厚みを合わせる師匠の職人技がそれは見事だったそうです。

自然乾燥させると捻じれてしまい、
使える部分だけカットして組み合わせることも多かったそうです
現在も使用しているカンナ機
昔は同じサイズにするために手作業で削っていたそうです
藤木工業では昔も今も粉受け部分のミゾは手彫りしています

熟練の職人が筆で描く行事用黒板  

研ぎ出し黒板には昔から行事用黒板もあります。現在はカッティングシートで曜日などを貼っていますが、当時は看板職人さんが塗料を筆で一発描きしていたそうです。 漢字を枠内に収めるため、漢字の書き順も異なり、デザインのように書かれるのが面白かったそうです。

手書きの月予定表です
筆を使い塗料で美しく書かれています
漢数字で書かれた月予定表です
漢字の日付は時代を感じさせてくれます
現在はカッティングシートで作られた文字を黒板に貼っています

黒板の伝統と未来を胸に歩んでいきます

現在でも続いている【研ぎ出し黒板】には、当時を知る人にしか語れない歴史がありました。藤木工業70年の歩みとも重なる貴重なお話をありがとうございました。

70周年を迎えた藤木工業は、昔ながらの伝統の研ぎ出し黒板を作り続け、現在人気の高い多いプロジェクター用グレー黒板や白板、超薄型壁面ホワイトボード(SMW)も取り扱っています。70年支えていただきました皆様、ありがとうございます。これからも伝統と未来への気持ちを胸に、今日も黒板を作り続けていきます。

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